2012年03月11日

3.11 私にとっても忘れ得ぬ日

去年の今頃(午前10時)は和医大附属病院への転院を前に、
紀南病院の病室にて赤血球の輸血中だった。11時出発ということで早朝5時50分の開始。


予定通り出発、和医大附属病院に12時半着。
一連の検査の後、ベッドに落ち着き点滴を開始した時に揺れが!!

地震とは思わず、

「大きな通りに面した病院だから揺れるの?」なんて思いきや…。


和医大附属病院は和歌浦湾の近く。

「津波警報発令。2階以上へ上がってください。」

のアナウンスを聞きながら、5階だった私はただ大変だなぁ って思っていた。
大災害に発展するとは予想だにせず…


転院に付き添ってくれたお姑さんは、JRが止まってしまったからその日は帰れず、翌日は高速道路の閉鎖により、次女は義弟の運転で迂回路の山道から来ることに。

私は骨髄中94パーセントを占めた白血病細胞との闘いで、体調は最悪。
ここ数年、亡くなる前の人のか細い声をたて続けに聞いたけれど、自分の発する声も同じだなと思っていた。

「エライことになってる」と、だ〜りんはテレビをつけ、繰り返される津波の映像を見せてくれたけれど、正直、自分のことで精一杯で、テレビを見る余裕は全く無かった。


数日後にテレビが見られる状況になった時、震災報道に心は痛むばかり。
支援コンサートを開催するという音楽仲間たちのツイートを見る度、何もできないどころか、あったかい病室でぬくぬくと暮らしている自分が情けなかった。

テレビからは「ポポポポーン」のCMが何度も何度も流れ、それを聞くのがとても辛かった。
今でも思い出すと、私個人的には吐き気を催してしまう。
一種のPTSDだね。


私もまだ、診断書的には維持強化療法中、自宅療養中の身だけど、
体調も気分も完全復興!!

2/2に父が他界、今後の墓守と、アルツハイマー重度の母の介護は大変だけど、被災された方々に心を寄せ続け、自分にできることをしたいと思います。


さて、一昨日は次女の中学卒業式でした。
私は教育委員として来賓席に着席。
中学校は祝辞の任務は無くて気楽なものの、次女が弾く卒業の歌のピアノ伴奏にハラハラ。
多少の傷を付けながらも、立派に弾いてのけてくれたのでホッとしました。

厳粛で素晴らしいお式でした。
雨だったのが残念だったけれど、
それもまた良き思い出となるでしょう。

いよいよ、明日は入試です。
頑張って!



image-20120311100457.png

image-20120311100516.png
posted by mamaさん at 10:05| 和歌山 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック