2011年11月01日

近況報告(2011年3月〜10月)

mixiやTwitterでご一緒してなくて、このHPだけを見てくださってる方もいらっしゃるようです。
全く更新してないのに訪問してくださり、本当に有難うございます _(._.)_
前の日記が2月13日ですので、3月以降のことをメモ的に書いておこうと思います。

    ☆   ☆   ☆

3/3(木)の朝、右足の膝の左側に打った覚えの無い青あざ発見。
夜には左の太ももにも発見。
「もしかして白血病?」と漠然と思い、次女の祉音と、春休み帰省中だった長男の喜基とにそんな話をする。

同日夜、「小さな幸せ」のベル伴奏による歌を、白浜バプテスト基督教会の会堂をお借りして収録。

3/7(月)熊野高校進路指導室に一日勤務。
前日は風邪引いたかな?程度の体調だったけど、この日は一日、元気元気で過ごす。
増えていた紫斑は気になっていたので、夕方、ひとりレッスンした後かかりつけのクリニックへ
行くつもりにしてたけど、疲れていたのでやめる。

3/8(火)上富田中学校の卒業式に列席すべく、朝、フォーマルに着替えたものの、
お腹や右肘、顔にまで紫斑を見つけたことと、口の中の血の味が止まらないことを決定打に、
開業医ではなく紀南病院へ行くことを決意。
中学まで行って教育委員長に卒業式欠席の旨を伝えたあと、病院へ急行。

「神様が与えてくださった命。神様の御心のままに」と祈りながらの受診。
ドクターの「厳しいですね」の言葉に、病名を聞く前に「やっぱりね」と納得。
急性白血病、ビンゴ!
フォーマルを着たまま緊急入院と相成った次第。

春休みでちょうど長女の早也歌が帰省。
喜基も予定外に再び帰省。

3/11 和歌山医大病院へ転院。
ベッドに落ち着いた時、地震。
その地震がとんでもない大災害を引き起こすことになろうとは、その時、夢にも思わなかった。

かくして、入院ライフがスタート。

急性白血病は、急性骨髄性白血病と急性リンパ性白血病の2つのタイプ、骨髄性はM0~M7の8つの種類があり、
私のは「M3」急性前骨髄球性白血病

一時帰宅を挟みながら、合計4回(寛解導入療法と地固め療法3回)、半年間の入院。

経過順調で、9/7(水)にめでたくようやく退院。
バンザ〜イの筈が、私を待ってたものは・・・あせあせ(飛び散る汗)

退院の日、父が胃がんであること、入院を拒んでいることを主治医から聞き、
父を説得。翌日入院。
父の入院をきっかけに、母も肛門腫瘍であることが判明し、後日、入院&手術。

母の痴呆は、私の入院中にかなり進んでしまっていて、
受診したところアルツハイマーとの診断。

父の通帳の移し替え(銀行からゆうちょへ)や、父の終末期医療の為の転院の手続き、
母のヘルパーの手配、などなど、事務的手続きにも奔走。

父が入院して1ヶ月ほど、母は我が家で暮らしていたけれど、
母を仕事場に連れて行けない場合もあるので、仕方なく自宅に帰ってもらった。

今は朝1回だけヘルパーさんに来ていただき、アルツハイマーの新薬で
一日2回服用のレミニールの朝の分の確認をお願いしてるけど、
夜の分は私が確認するほかなく、毎日の実家通いと父の病院通いで
かなりの時間がとられているのが現状。

ハードな生活だけど、親孝行できる有難さを噛みしめたいと思う。

怠けていた骨髄くんはやっとこさ働き始めたようで、先日の検診では数値が上がっていた為、
輸血の必要も無くなって体調も安定してきた感じ。

爪の色も回復しつつあるし、浮腫もほとんどなくなったし、
何より、ほっぺのシミがかなり薄くなったのは嬉しい。
それに、髪の毛がみるみる復活中exclamation×2
ベリーショートぐらいになったらウイッグを卒業しようかな。

以上、私の8ヶ月間を駆け足でお伝えしましたぁ。


あ、入院5日前に収録した「小さな幸せ」や、和医大入院中の院内コンサートの様子を
YouTubeにアップしていますので、良かったら見てやってくださいませ。







posted by mamaさん at 02:00| 和歌山 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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