紀南病院の病室にて赤血球の輸血中だった。11時出発ということで早朝5時50分の開始。
予定通り出発、和医大附属病院に12時半着。
一連の検査の後、ベッドに落ち着き点滴を開始した時に揺れが!!
地震とは思わず、
「大きな通りに面した病院だから揺れるの?」なんて思いきや…。
和医大附属病院は和歌浦湾の近く。
「津波警報発令。2階以上へ上がってください。」
のアナウンスを聞きながら、5階だった私はただ大変だなぁ って思っていた。
大災害に発展するとは予想だにせず…
転院に付き添ってくれたお姑さんは、JRが止まってしまったからその日は帰れず、翌日は高速道路の閉鎖により、次女は義弟の運転で迂回路の山道から来ることに。
私は骨髄中94パーセントを占めた白血病細胞との闘いで、体調は最悪。
ここ数年、亡くなる前の人のか細い声をたて続けに聞いたけれど、自分の発する声も同じだなと思っていた。
「エライことになってる」と、だ〜りんはテレビをつけ、繰り返される津波の映像を見せてくれたけれど、正直、自分のことで精一杯で、テレビを見る余裕は全く無かった。
数日後にテレビが見られる状況になった時、震災報道に心は痛むばかり。
支援コンサートを開催するという音楽仲間たちのツイートを見る度、何もできないどころか、あったかい病室でぬくぬくと暮らしている自分が情けなかった。
テレビからは「ポポポポーン」のCMが何度も何度も流れ、それを聞くのがとても辛かった。
今でも思い出すと、私個人的には吐き気を催してしまう。
一種のPTSDだね。
私もまだ、診断書的には維持強化療法中、自宅療養中の身だけど、
体調も気分も完全復興!!
2/2に父が他界、今後の墓守と、アルツハイマー重度の母の介護は大変だけど、被災された方々に心を寄せ続け、自分にできることをしたいと思います。
さて、一昨日は次女の中学卒業式でした。
私は教育委員として来賓席に着席。
中学校は祝辞の任務は無くて気楽なものの、次女が弾く卒業の歌のピアノ伴奏にハラハラ。
多少の傷を付けながらも、立派に弾いてのけてくれたのでホッとしました。
厳粛で素晴らしいお式でした。
雨だったのが残念だったけれど、
それもまた良き思い出となるでしょう。
いよいよ、明日は入試です。
頑張って!